山中湖-水辺によせて2- [水辺によせて]
ここにあげた写真は、全て主人が一眼レフで撮ったものです。
『水辺によせて1』と同じ年の秋です。
もう、10年以上前・・・^^;
フィルムをスキャナーで読み取ったものになります。
やはり10年以上前のフィルムだと、見えないけれど、カビが生えてたりするんでしょうかね。
画像化すると、かなり汚れがあり、目立つものだけ修正しました。
タッチペンで点々しながら修正していると、写真も絵なんだなぁと思います。
イラストの塗り残しで、
「なー!ちゃんと見ようよ!ここ塗ったときの私!」
とか独り言を叫びながら塗ってるのと同じやり方で修正します。
そういえば、昨日主人が『COMITIA GUIDE』を買ってきてくれたのですが、自分の席が探せない(^_^;
「目次あるから!」
と主人に言われ、やっとみつけました。
『w18a 幸湖畔のうさぎ』
で出ています。
位置はすんごい端なのですが、席は真ん中(^_^;
主人曰く「トイレが遠いなー」
・・・(^0^;)
この写真を撮ったときと全然違う(^_^;
10数年後、こうなると誰が想像した^^;
上の二つの写真の左側に裾だけ写っているのが、富士山~です。
このときは、雲が多く、更に夕方近かったので、ちょっと暗めですね。
このころは、ゴスペラーズの『ひとり』が聴けませんでした。
この曲がかかるとですね、
罪悪感に苛まれてしまって、どうしようもない状態になってしまってました。
そのおかげで、親しい友人も主人も『ゴスペラーズ嫌い』になってしまい、
友人にも主人にもゴスペラーズにも、申し訳ない気持ちでいっぱいです(^_^;
今はもう全然大丈夫なんですが、まだ少し身構える兆候はありますね。
まだ全くだめなときに、ある巨大ショッピングセンターに行って、
そこのステーキハウスに入ったんですが、『ひとり』かかってました。
1回は耐えられたんですが、その後も何度もかかるんです。
繰り返し繰り返し。
これでもかこれでもかって。
お前が悪い!お前が悪いんだ。お前のせいで俺は!お前のせいだ!って
さすがに耐えられませんでしたよ。
主人に、できたら呼んでもらうように言って、お店の外に出ちゃいました。
主人が呼びに来たとき、違う曲がかかってました。
『ひとり』をかけないように頼んでくれたようでした。
そして、お店を出た後、
「二度とこねぇ!」
と言ったのは主人の方でした。
ごめん。
嫌な思いを周りにさせてしまっていたなぁと。
怒らなくてもいいことで怒らせてしまい、余分な気を遣わせてしまい、申し訳なかったです。
・・・若かったなぁ・・・(とほい目
山中湖までは道志の山道を通って行ってました。
酔うんだよね(_xx)_
今は全然酔わないけど。
今は綺麗な道もできていて、たぶん距離も短くなってるんじゃないですかね?
この時分はずーっと山道で、くねくね~でした。
当時、夜にこの道志の道を若い人達がぽつぽつ歩いていたりしてました。
一度、主人が声かけて乗せた男子大学生の2人は、
山中湖に一緒に行った友人達と喧嘩して2人だけで帰ろうってなった、って言ってましたね。
旅行で喧嘩になるって、わかる気がする(^_^;
でも、歩いて駅もしくはバス停なんて言ったら、朝になっちゃうよ。
え?朝になってもつかないよって?
う、うーむ( ̄~ ̄;)
今は昼間の仕事に我々もついておりますので、夜ドライブはしませんが、
道志道が綺麗になってから、一人でぽつぽつ歩いてる若人は見かけなくなりましたね。
今もいるのかしら。
奥多摩-水辺によせて1- [水辺によせて]
ここに載せた写真は、10数年前に主人が撮ったものです。
今まで書かなかったんですが、ぽちっとすると、大きな画像で見る事ができます。
自分が誰かの代わりだったと気がついたときは、かなりショックなものがあります。
何年も何年も大切な人の中で、自分が一番だと思い込んでいて、信じ切っていて、
あるとき、思ってもいないときにそうじゃないことが判明する。
『誰かの代わり』から解放されて『自分』に戻ろうとするときに、
そうさせまいとするものに阻まれ、
代わりとしようとする方が悪いはずなのに、
「お前が悪い」と責め続けられ、強大な罪悪感に苛まれ、
ようやくその存在から逃れたときには、もう精神はボロボロでした。
主人は、休みの度に気分転換になるだろうと、
ぼんやりしている私を色々な所へ連れ出してくれました。
実家以外に一番最初に連れて行ってくれたのが、この写真の場所でした。
奥多摩の、どの滝だったか?
更に10数年前なので、様相も変わっているかもしれません。
平日の午後だったので、他には誰もいませんでした。
周りがぼけているのは、水滴を撮りたかったようですよ。
紫陽花に色がつき始めた頃でしたね。
あの頃のことは覚えていないことの方が多いのですが、精神を病んではいなかったと思います。
何かを考えてしまうと、自分を責める方に向かうので、
無意識のうちに、あえて何も考えないようにしていたのだと思います。
外に出れば、緑が綺麗だったとか、木でできた小さな橋を渡ったとか、
滝の側が涼しかったなどと覚えているので、主人は休みの度に私を連れ出したのだと思います。
このとき、ロングスカートに、トレッキングでもできそうな靴をはいてました。
なんでロングスカートにトレッキングシューズだったんだろう?と思ってましたが、
たぶん、あう靴がなかったんでしょうね。
前の家から、そんなにいくつも靴は持ってきていませんでしたから。
この写真がなんだかとても好きなんですよ。
ここに載せた写真は全て一眼レフで撮ったものです。
フィルムをエプソンのスキャナーで読み込みました。
すごい解像度で読み込んでしまったので、かなり落として載せました。
私を『誰かの代わり』としていた人は、そのことに今も気がついていないでしょう。
何故私が離れたのかも、本当のところはわかっていないと思います。
元々本物が手に入らないから、『代わり』を手に入れて我慢していたんですよ。
所詮、『代わり』は『代わり』でしかないんですよ。
今まで書かなかったんですが、ぽちっとすると、大きな画像で見る事ができます。
自分が誰かの代わりだったと気がついたときは、かなりショックなものがあります。
何年も何年も大切な人の中で、自分が一番だと思い込んでいて、信じ切っていて、
あるとき、思ってもいないときにそうじゃないことが判明する。
『誰かの代わり』から解放されて『自分』に戻ろうとするときに、
そうさせまいとするものに阻まれ、
代わりとしようとする方が悪いはずなのに、
「お前が悪い」と責め続けられ、強大な罪悪感に苛まれ、
ようやくその存在から逃れたときには、もう精神はボロボロでした。
主人は、休みの度に気分転換になるだろうと、
ぼんやりしている私を色々な所へ連れ出してくれました。
実家以外に一番最初に連れて行ってくれたのが、この写真の場所でした。
奥多摩の、どの滝だったか?
更に10数年前なので、様相も変わっているかもしれません。
平日の午後だったので、他には誰もいませんでした。
周りがぼけているのは、水滴を撮りたかったようですよ。
紫陽花に色がつき始めた頃でしたね。
あの頃のことは覚えていないことの方が多いのですが、精神を病んではいなかったと思います。
何かを考えてしまうと、自分を責める方に向かうので、
無意識のうちに、あえて何も考えないようにしていたのだと思います。
外に出れば、緑が綺麗だったとか、木でできた小さな橋を渡ったとか、
滝の側が涼しかったなどと覚えているので、主人は休みの度に私を連れ出したのだと思います。
このとき、ロングスカートに、トレッキングでもできそうな靴をはいてました。
なんでロングスカートにトレッキングシューズだったんだろう?と思ってましたが、
たぶん、あう靴がなかったんでしょうね。
前の家から、そんなにいくつも靴は持ってきていませんでしたから。
この写真がなんだかとても好きなんですよ。
ここに載せた写真は全て一眼レフで撮ったものです。
フィルムをエプソンのスキャナーで読み込みました。
すごい解像度で読み込んでしまったので、かなり落として載せました。
私を『誰かの代わり』としていた人は、そのことに今も気がついていないでしょう。
何故私が離れたのかも、本当のところはわかっていないと思います。
元々本物が手に入らないから、『代わり』を手に入れて我慢していたんですよ。
所詮、『代わり』は『代わり』でしかないんですよ。