護衛艦-海日和4- [海日和]
当時、長崎で建造中だった『クリスタル・ハーモニー』(現:飛鳥Ⅱ)のイラストを、
その風景と共に描きだしたのはいいのですが、
あまりにも昔の写真なので、なにがなんだかわからない・・点描の世界。
おおざっぱなところはわかるものの、
描いてるうちに、
「これって、クレーン?後ろの緑に混ざってて、よくわからんなぁ・・」
となり、仕方がないので、実家の物置からアルバムを掘り起こして持ち帰ってきました。
ネガも整理してあったので、それも持ってきました。
大漁大漁( ̄ー ̄)ふっ
それらしき写真をより分けていくと、
あるある( ̄ー ̄)ニヤリ
はっきりくっきりの『クリスタル・ハーモニー』。
周りの景色も、はっきりしたのがあれば・・・
と、漁っていくうちに、なんやら護衛艦らしき船舶が写っているのを発見。
当時は、護衛艦には全然興味がなかったので、
なーんにも考えず、写しただけだったと思います。
でも、わりとしつこく撮ってる(^0^;)
それでは、
「あなたたちのお名前は?」
手がかりは、この番号。
でもさ、横になってるのの『157』しかよく見えん。
この縦に並んでるこのひと達は・・
手前が『170』
奥が『14・・・』?
主人に見てもらうと、
「『141』じゃないかな?」
( ̄~ ̄;)ウーン・・・『7』にも見えるけど・・
はっきりくっきりとはいえ、写真ではよく見えないので、
ネガと写真をスキャナーでデジタル化することにしました。
つい最近、デジタルビデオテープで撮ってあったホームビデオ(っていう?)を
完全デジタル化に成功しておりましたので、
気をよくして、写真にも手をつけ始めたところでした。
そして、スキャンした結果
主人の目は正しかった『141』。
更に調べると、
手前の170が『さわかぜ』、奥の141が『はるな」
ということが判明。
今、かわぐちかいじ先生の『沈黙の艦隊』を読んでいるのですが、
出てくるんですよ、護衛艦『はるな』。
本当に『141』ってついてる!
これだ!これが、あれなんだ!あれだったんだ!
(興奮しすぎて言ってることが滅茶苦茶(^0^;))
『はるな』(JS Haruna,DDH-141)
はるな型護衛艦1番艦。
旧海軍 金剛型戦艦『榛名』に続き2代目。
発注 1968年
起工 1970年3月
進水 1972年2月22日
就役 1973年2月22日
除籍 2009年3月18日
建造所 三菱重工業長崎造船所
もう、解体されて、この世には存在しないです。
『さわかぜ』(JS Sawakaze,DDG-170)
たちかぜ型護衛艦3番艦。
旧海軍 峯風型駆逐艦2番艦『澤風』に続き2代目。
発注 1978年
起工 1979年9月14日
進水 1981年6月4日
就役 1983年3月30日
除籍 2010年6月25日
建造所 三菱重工業長崎造船所
この子も解体されて、この世に存在してません。
『艦これ』やってると、本当の船に対しても『この子』と書いてしまう(^0^;)
ことをお許しください(^0^;)
えーっと、
進水日がお誕生日、だっけ?
ざざーっと水に浮かべられて、名前もらう日。
『DDH』っていうのは、ヘリコプター搭載護衛艦っつーことかしら。
『DDG』は、ターター・システム搭載護衛艦、かな?
残りの1隻が、
『さわぎり』(JS Sawagiri,DD-157)
あさぎり型護衛艦7番艦、
旧海軍通して初代。
発注 1985年
起工 1987年1月14日
進水 1988年11月25日
就役 1990年3月6日
建造所 三菱重工業長崎造船所
・・・ちょっと待って。
就役 1990年3月6日?
この写真を撮ったのが、1990年2月15日だから、
このひとはまだ就役してなくて、就役寸前だったってこと?
(ノ゜o゜)ノオオォォォーー!
今までそんな貴重な写真があるなんて、知らんかったぁ!!!
掘り起こせば、なんだかすごいものが出てきそう。
早くデジタル化しなくては。
『DD』は汎用護衛艦だそうです。
まだ現役で、母港は佐世保だそうです(^^)
それでは、最後に3隻が一緒に写っている写真で閉めたいと思います。
と、いっても、番号がちゃんと見えるだけなんですが(^0^;)
その風景と共に描きだしたのはいいのですが、
あまりにも昔の写真なので、なにがなんだかわからない・・点描の世界。
おおざっぱなところはわかるものの、
描いてるうちに、
「これって、クレーン?後ろの緑に混ざってて、よくわからんなぁ・・」
となり、仕方がないので、実家の物置からアルバムを掘り起こして持ち帰ってきました。
ネガも整理してあったので、それも持ってきました。
大漁大漁( ̄ー ̄)ふっ
それらしき写真をより分けていくと、
あるある( ̄ー ̄)ニヤリ
はっきりくっきりの『クリスタル・ハーモニー』。
周りの景色も、はっきりしたのがあれば・・・
と、漁っていくうちに、なんやら護衛艦らしき船舶が写っているのを発見。
当時は、護衛艦には全然興味がなかったので、
なーんにも考えず、写しただけだったと思います。
でも、わりとしつこく撮ってる(^0^;)
それでは、
「あなたたちのお名前は?」
手がかりは、この番号。
でもさ、横になってるのの『157』しかよく見えん。
この縦に並んでるこのひと達は・・
手前が『170』
奥が『14・・・』?
主人に見てもらうと、
「『141』じゃないかな?」
( ̄~ ̄;)ウーン・・・『7』にも見えるけど・・
はっきりくっきりとはいえ、写真ではよく見えないので、
ネガと写真をスキャナーでデジタル化することにしました。
つい最近、デジタルビデオテープで撮ってあったホームビデオ(っていう?)を
完全デジタル化に成功しておりましたので、
気をよくして、写真にも手をつけ始めたところでした。
そして、スキャンした結果
主人の目は正しかった『141』。
更に調べると、
手前の170が『さわかぜ』、奥の141が『はるな」
ということが判明。
今、かわぐちかいじ先生の『沈黙の艦隊』を読んでいるのですが、
出てくるんですよ、護衛艦『はるな』。
本当に『141』ってついてる!
これだ!これが、あれなんだ!あれだったんだ!
(興奮しすぎて言ってることが滅茶苦茶(^0^;))
『はるな』(JS Haruna,DDH-141)
はるな型護衛艦1番艦。
旧海軍 金剛型戦艦『榛名』に続き2代目。
発注 1968年
起工 1970年3月
進水 1972年2月22日
就役 1973年2月22日
除籍 2009年3月18日
建造所 三菱重工業長崎造船所
もう、解体されて、この世には存在しないです。
『さわかぜ』(JS Sawakaze,DDG-170)
たちかぜ型護衛艦3番艦。
旧海軍 峯風型駆逐艦2番艦『澤風』に続き2代目。
発注 1978年
起工 1979年9月14日
進水 1981年6月4日
就役 1983年3月30日
除籍 2010年6月25日
建造所 三菱重工業長崎造船所
この子も解体されて、この世に存在してません。
『艦これ』やってると、本当の船に対しても『この子』と書いてしまう(^0^;)
ことをお許しください(^0^;)
えーっと、
進水日がお誕生日、だっけ?
ざざーっと水に浮かべられて、名前もらう日。
『DDH』っていうのは、ヘリコプター搭載護衛艦っつーことかしら。
『DDG』は、ターター・システム搭載護衛艦、かな?
残りの1隻が、
『さわぎり』(JS Sawagiri,DD-157)
あさぎり型護衛艦7番艦、
旧海軍通して初代。
発注 1985年
起工 1987年1月14日
進水 1988年11月25日
就役 1990年3月6日
建造所 三菱重工業長崎造船所
・・・ちょっと待って。
就役 1990年3月6日?
この写真を撮ったのが、1990年2月15日だから、
このひとはまだ就役してなくて、就役寸前だったってこと?
(ノ゜o゜)ノオオォォォーー!
今までそんな貴重な写真があるなんて、知らんかったぁ!!!
掘り起こせば、なんだかすごいものが出てきそう。
早くデジタル化しなくては。
『DD』は汎用護衛艦だそうです。
まだ現役で、母港は佐世保だそうです(^^)
それでは、最後に3隻が一緒に写っている写真で閉めたいと思います。
と、いっても、番号がちゃんと見えるだけなんですが(^0^;)
聖地-海日和3- [海日和]
海日和1の『真っ直ぐな水平線』で紹介した海岸ですが、
アニメ『ゆるキャン』の聖地になってました(;゜ロ゜)
もう二度と行くことも無い所だと、ずっと思っておりましたが、
アニメの中で見る事ができるとは夢にも思いませんでした。
私自身は、暮れからお正月のあの場面は見たことはありませんが、
主人は実際に行って、見たことがある、そうです。
「鳥居なんて建ってたっけ?」
と訊ねると、
「あのとき(暮れと正月にかけて?)だけ建てるんだよ。」
との答えがありました。
お正月とかお盆とかに行ったことないですねぇ。
混む。
前は、ずーーーっと下道で行ってたので、5時間位かかりました。
一度、ゴールデンウィークに行ったことがあるのですが、
高速使って8時間かかった・・・(_xx)_バタッ…
山中湖でも主人はキャンプをしたことがあるそうで、
9月でも、マイナス2℃になり、
「凍死するところだった。」
そうです。
このときは、車2台で行ってたので、
途中で全員で車に逃げ込んだそうです。
なので、『ゆるキャン』のあれは『自殺もの』だと。
山中湖、夏でも涼しいもん。
と言うか、夜は寒い?(^0^;)
まだ、2人して0時まで働いていた頃は、
夜中によくドライブしてました。
昼間寝て、夕方から仕事に行く生活。
今は、ちゃんと昼間働いているので、
夜中なんて起きていられません(^0^;)
昔は寝なくても平気だったのになぁ。
アニメ『ゆるキャン』の聖地になってました(;゜ロ゜)
もう二度と行くことも無い所だと、ずっと思っておりましたが、
アニメの中で見る事ができるとは夢にも思いませんでした。
私自身は、暮れからお正月のあの場面は見たことはありませんが、
主人は実際に行って、見たことがある、そうです。
「鳥居なんて建ってたっけ?」
と訊ねると、
「あのとき(暮れと正月にかけて?)だけ建てるんだよ。」
との答えがありました。
お正月とかお盆とかに行ったことないですねぇ。
混む。
前は、ずーーーっと下道で行ってたので、5時間位かかりました。
一度、ゴールデンウィークに行ったことがあるのですが、
高速使って8時間かかった・・・(_xx)_バタッ…
山中湖でも主人はキャンプをしたことがあるそうで、
9月でも、マイナス2℃になり、
「凍死するところだった。」
そうです。
このときは、車2台で行ってたので、
途中で全員で車に逃げ込んだそうです。
なので、『ゆるキャン』のあれは『自殺もの』だと。
山中湖、夏でも涼しいもん。
と言うか、夜は寒い?(^0^;)
まだ、2人して0時まで働いていた頃は、
夜中によくドライブしてました。
昼間寝て、夕方から仕事に行く生活。
今は、ちゃんと昼間働いているので、
夜中なんて起きていられません(^0^;)
昔は寝なくても平気だったのになぁ。
飛鳥Ⅱ-貴女は『クリスタル・ハーモニー』だったんだね-海日和 その2- [海日和]
この記事は、yahoo!ブログさんに載せていました。
何年か前の12月に左耳に中耳炎を患ってから、それも本当に中耳炎だったのかわかりませんが、
めっきり体の調子が悪くなり、全身に振戦を感じ、特に左手に力が入りにくくなりました。
疲れたり、強いストレスを感じたりすると、ひどくなります。
ただ、見た目にはわからないそうです。
そういうわけで、休みの日はパソコンの前に座っていることが多くなりました。
ほとんどゲームをして過ごしていたのですが、
『艦これ』『式姫の庭』で色々教えていただいた『ちと師匠』が、
ニコ動(ニコ動では『かなへび』さん)に動画をアップされていて、
それを観て、自分も作ってみたくなり、何本か作ってみました。
ここでは、そのうちの1本、『飛鳥Ⅱ』について、少し書いてみたいと思います。
飛鳥Ⅱで旅に出て、楽しかったーとかいうテーマではなく、
『飛鳥Ⅱ』という客船に対する私の思いを綴ったものです。
勿論、飛鳥Ⅱに乗って旅してみたいですがねー
うちにはそんな余裕はない(T-T)
ニコニコ動画にアカウントをお持ちで、
更に、しょうがない観てやるか、とお思いになったカミサマのような方が
もしかしてひょっとしていらっしゃるかもしれませんので、リンクを貼り付けておきます。
動画といっても、写真を貼り付けて動かしているだけのものです。
師匠曰く、『デジタル紙芝居』です。
その前に、
20年近く(もう20年経ったかも?)の付き合いになる友人が、
「動画の、言わんとしていることを考えるのが楽しい。」
と言っていたので、先に動画をご覧になってからこの記事を読まれるか、
ここをざっと読んで、動画をご覧になるかを
今!ここで!お決めになってから、ポチッとしてください。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28322500
さて、ここから本題に入ります。
もう、古の昔にですね、
初めて長崎に行ったとき、建造中の客船を見ました。
その客船の名前が
『クリスタル・ハーモニー』。
記憶も不確かですが、グラバー邸から見たと思います。
模型が飾ってあったのですが、それがグラバー邸にだったのか・・?
そのときの写真がこれ。
1990年ってなんだ?(^0^;)
私もかなり古くなるわけだわ。
実家の古い家にほったらかしのアルバムから抜き取ってきたものなので、えらく色褪せておりました。
おまけに、小学生の頃にお年玉をためて買った、なーんの機能もついてないカメラで撮ったので、
画像ももやーんとしておりました。
上の写真は加工を施したものです。
もっと綺麗に修正できないものですかねぇ。
そのときは、そんなに興味もなくて、すぐ側まで行こうなんて気は起こらず。
行きたいと思っても、行けなかったかもしれませんね。
『クリスタル・ハーモニー』はこの年の5月に就航だったと思うので、
もうほとんどできあがってます。
就航して、アメリカへ行ってしまいました。
日本で活躍していれば、いつかは完成した姿が見られると思ってましたが、
アメリカに行ってしまったのでは、もう写真でしか見られないね(T-T)
それから10年以上経った頃、
船の科学館の壁に飾ってあった豪華客船の写真の中に、彼女の姿をみつけました。
懐かしい気持ちと、誇らしいような、頼もしいような、
嬉しいような、そして少し寂しいような気持ちで眺めたのを覚えてます。
娘が成長して、親元を離れていったら、こんな気持ちなんですかね。
・・・でも
今はどうしているんだろう?
・・・もう、廃船になってしまったのだろうか?
それとも、まだどこかの海の上にいるのだろうか?
調べればわかったのでしょうが、知らない方がいいような気もしてました。
昔から、主人と2人でふらっとどこかへ行くことが多かったのですが、
そのときは『宮ヶ瀬ダム』に行ったんです。
展望室があって、カメラを目一杯ズームすると、遥か向こうに横浜が見えたんです。
最初は全然わからなかったんですが、ランドマークタワーがうっすら見えていて、
ああ、横浜だ、と。
そのときからずっと横浜へ行きたくて、
主人にお願いして、秋晴れのこの日、やっと行くことが出来ました。
いつも主人が連れて行ってくれるのは『みなとみらい』方面なのですが、
この日は、山下公園や中華街の方に連れていってもらいました。
上の雲も龍みたいでしょ?(^_^)
主人は、中華街へ行くなら、本場四川の麻婆豆腐が食べたいと、前もって調べておりました。
私は辛いのがまったくもってだめなので、なんとなく食べられそうなものを頼みました。
エビチリだったような・・
あまり辛くて記憶にない(^0^;)
主人は待望の麻婆豆腐を一口食べた途端、ぶわっと額に汗が(^0^;)
主人は辛いものを食べると、すごく汗をかくのですが、このときは更にすごかった。
あの辛いの大好きな主人が、
「死にそうなくらい辛い!」
と叫んでました。
周りのお客さんも、同じ麻婆豆腐を頼んでる方が結構いらっしゃいましたが、
ほとんど食べきれてなかったですよ。
汗と涙を拭き拭き、主人が私に言ってくれたお言葉。
「食べられなかったら残しな!」
「食べきれなかったら」ではなく、「食べられなかったら」と言うところがミソ(^0^;)
いやいや、せっかく作ってくださったものを残すなんてしません。
麻婆豆腐じゃなくても、私にとっては極々辛!でしたが、食べきったぁ!
味はいいんだけど、ね。
流石に主人も、泣きながら汗を流しまくりながら全部食べきりました。
そして、
「もう、いいな・・・(..;)」
う、うん、そうね(^0^;)
山下公園をふらふら歩いていると、ずっとむこーの方に一際目立つ大きな船が見えました。
「見に行く-!」
と騒いで、大桟橋まで行くことになりました。
ふらふら歩いている途中で撮った赤レンガ倉庫。
『飛鳥Ⅱ』という客船があるということは知っていました。
ああ、この子がそうなんだ、と。
彼女を見ながら、
「クリスタル・ハーモニーもこんな風に誇らしげに海に上にいるのかな。」
と、考えていました。
そうだといいな、と。
横浜に行ったのは、東北の震災が起こった年です。
なので、飛鳥Ⅱにもこの幕が張ってありました。
成田に飛行機を見に行ったときも、機体にこの言葉がかかれていましたね。
見えるかしら。
大きくすると見えるかな。
ずっと見てました。
出港するまで見てました。
タグボートが、大きな飛鳥Ⅱの周りをちょこちょこ動き回って、出港のお手伝いをしてました。
潮が満ちてくると、ベイブリッジをくぐれない、とかあるのかなぁ。
そういう時間が加味されてるのだろうか、などと思いつつ、
ベイブリッジを無事くぐるのを見届けて、またぶらぶらと公園に向かいました。
帰りの高速道路上で富士山を見つけて、大騒ぎで撮った写真です。
「富士山!富士山だよ!」
と言うと、主人は
「嘘だぁ」
言いましたからね。
本当に富士山とわかると、
「ここは何十回と通ってるけど、富士山を見たのは初めてだ。」
と感心してました。
実は、彼女を見ていたとき、
飛鳥Ⅱ=クリスタル・ハーモニー
だということは、全然知りませんでした。
まさか、日本に帰ってきていて、目の前のこの客船が、
あの長崎で見たクリスタル・ハーモニーだとは、夢にも思いませんでした。
家に帰って、飛鳥Ⅱを調べて、初めてそれを知りました。
とても嬉しかったですよ。
まだ活躍しているということが。
そして、それを知らなかったとはいえ、
間近で見られて、出港していくのを見送ることができたということが、
とても嬉しかったです。
最後に
『ニコ動』にあげた動画のことなんですが。
友人に指摘されて、やはりそう思われるかぁと思い、言い訳と説明を。
動画に、船の科学館で撮った金剛姉妹の模型と、
大和ミュージアムで撮った大和の写真を一枚ずつ入れました。
動画では、違う角度からの写真になってます。
大和ではいい方の写真を使いました。
「こういう船の模型を見ても彼女(クリスタル・ハーモニー)のことを思うんだよ。」
というのを表したかったのですが、
それだけわかっていただければ十分だったのですが、
この際、もうちょっと踏み込んでいただきますと、
金剛4姉妹は、帰る場所はあったが、帰ることができなかった。
ただ、榛名は呉で空襲で座礁したので、日本には帰っていたのではありますが(^0^;)
大和に至っては、帰らないのを前提に出港したので、もう帰る場所すらなかった。
でも、クリスタル・ハーモニーは、故郷に帰ってこられて、出港しても帰る場所がある。
それを更に表したかったのですが、ちょっと含み過ぎたかしら(^0^;)
ついでに言えば、クリスタル・ハーモニーは海外で火災を起こしたと、ずっと思ってました。
動画を作るまで、ずっとそう思ってました。
なので、火事になったような船が今も活躍しているとは思えなくて、
行方を調べることはしてませんでした。
実際に家事を起こした船は、彼女ではなく、姉妹船?だったそうです。
調べたら、すぐわかったのにね。
それから
一番上に書いた体調のことですが
左手に力が入りにくかったり、振戦もあるのですが、
慣れたせいか、そんなに気にならなくなりました。
革での小物の制作もずっとあきらめてましたが、なんとか復活できそうです。
手動革漉き機『フェッタ』なるものを手に入れたので、また少しずつですが、始めようと思います。
何年か前の12月に左耳に中耳炎を患ってから、それも本当に中耳炎だったのかわかりませんが、
めっきり体の調子が悪くなり、全身に振戦を感じ、特に左手に力が入りにくくなりました。
疲れたり、強いストレスを感じたりすると、ひどくなります。
ただ、見た目にはわからないそうです。
そういうわけで、休みの日はパソコンの前に座っていることが多くなりました。
ほとんどゲームをして過ごしていたのですが、
『艦これ』『式姫の庭』で色々教えていただいた『ちと師匠』が、
ニコ動(ニコ動では『かなへび』さん)に動画をアップされていて、
それを観て、自分も作ってみたくなり、何本か作ってみました。
ここでは、そのうちの1本、『飛鳥Ⅱ』について、少し書いてみたいと思います。
飛鳥Ⅱで旅に出て、楽しかったーとかいうテーマではなく、
『飛鳥Ⅱ』という客船に対する私の思いを綴ったものです。
勿論、飛鳥Ⅱに乗って旅してみたいですがねー
うちにはそんな余裕はない(T-T)
ニコニコ動画にアカウントをお持ちで、
更に、しょうがない観てやるか、とお思いになったカミサマのような方が
もしかしてひょっとしていらっしゃるかもしれませんので、リンクを貼り付けておきます。
動画といっても、写真を貼り付けて動かしているだけのものです。
師匠曰く、『デジタル紙芝居』です。
その前に、
20年近く(もう20年経ったかも?)の付き合いになる友人が、
「動画の、言わんとしていることを考えるのが楽しい。」
と言っていたので、先に動画をご覧になってからこの記事を読まれるか、
ここをざっと読んで、動画をご覧になるかを
今!ここで!お決めになってから、ポチッとしてください。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28322500
さて、ここから本題に入ります。
もう、古の昔にですね、
初めて長崎に行ったとき、建造中の客船を見ました。
その客船の名前が
『クリスタル・ハーモニー』。
記憶も不確かですが、グラバー邸から見たと思います。
模型が飾ってあったのですが、それがグラバー邸にだったのか・・?
そのときの写真がこれ。
1990年ってなんだ?(^0^;)
私もかなり古くなるわけだわ。
実家の古い家にほったらかしのアルバムから抜き取ってきたものなので、えらく色褪せておりました。
おまけに、小学生の頃にお年玉をためて買った、なーんの機能もついてないカメラで撮ったので、
画像ももやーんとしておりました。
上の写真は加工を施したものです。
もっと綺麗に修正できないものですかねぇ。
そのときは、そんなに興味もなくて、すぐ側まで行こうなんて気は起こらず。
行きたいと思っても、行けなかったかもしれませんね。
『クリスタル・ハーモニー』はこの年の5月に就航だったと思うので、
もうほとんどできあがってます。
就航して、アメリカへ行ってしまいました。
日本で活躍していれば、いつかは完成した姿が見られると思ってましたが、
アメリカに行ってしまったのでは、もう写真でしか見られないね(T-T)
それから10年以上経った頃、
船の科学館の壁に飾ってあった豪華客船の写真の中に、彼女の姿をみつけました。
懐かしい気持ちと、誇らしいような、頼もしいような、
嬉しいような、そして少し寂しいような気持ちで眺めたのを覚えてます。
娘が成長して、親元を離れていったら、こんな気持ちなんですかね。
・・・でも
今はどうしているんだろう?
・・・もう、廃船になってしまったのだろうか?
それとも、まだどこかの海の上にいるのだろうか?
調べればわかったのでしょうが、知らない方がいいような気もしてました。
昔から、主人と2人でふらっとどこかへ行くことが多かったのですが、
そのときは『宮ヶ瀬ダム』に行ったんです。
展望室があって、カメラを目一杯ズームすると、遥か向こうに横浜が見えたんです。
最初は全然わからなかったんですが、ランドマークタワーがうっすら見えていて、
ああ、横浜だ、と。
そのときからずっと横浜へ行きたくて、
主人にお願いして、秋晴れのこの日、やっと行くことが出来ました。
いつも主人が連れて行ってくれるのは『みなとみらい』方面なのですが、
この日は、山下公園や中華街の方に連れていってもらいました。
上の雲も龍みたいでしょ?(^_^)
主人は、中華街へ行くなら、本場四川の麻婆豆腐が食べたいと、前もって調べておりました。
私は辛いのがまったくもってだめなので、なんとなく食べられそうなものを頼みました。
エビチリだったような・・
あまり辛くて記憶にない(^0^;)
主人は待望の麻婆豆腐を一口食べた途端、ぶわっと額に汗が(^0^;)
主人は辛いものを食べると、すごく汗をかくのですが、このときは更にすごかった。
あの辛いの大好きな主人が、
「死にそうなくらい辛い!」
と叫んでました。
周りのお客さんも、同じ麻婆豆腐を頼んでる方が結構いらっしゃいましたが、
ほとんど食べきれてなかったですよ。
汗と涙を拭き拭き、主人が私に言ってくれたお言葉。
「食べられなかったら残しな!」
「食べきれなかったら」ではなく、「食べられなかったら」と言うところがミソ(^0^;)
いやいや、せっかく作ってくださったものを残すなんてしません。
麻婆豆腐じゃなくても、私にとっては極々辛!でしたが、食べきったぁ!
味はいいんだけど、ね。
流石に主人も、泣きながら汗を流しまくりながら全部食べきりました。
そして、
「もう、いいな・・・(..;)」
う、うん、そうね(^0^;)
山下公園をふらふら歩いていると、ずっとむこーの方に一際目立つ大きな船が見えました。
「見に行く-!」
と騒いで、大桟橋まで行くことになりました。
ふらふら歩いている途中で撮った赤レンガ倉庫。
『飛鳥Ⅱ』という客船があるということは知っていました。
ああ、この子がそうなんだ、と。
彼女を見ながら、
「クリスタル・ハーモニーもこんな風に誇らしげに海に上にいるのかな。」
と、考えていました。
そうだといいな、と。
横浜に行ったのは、東北の震災が起こった年です。
なので、飛鳥Ⅱにもこの幕が張ってありました。
成田に飛行機を見に行ったときも、機体にこの言葉がかかれていましたね。
見えるかしら。
大きくすると見えるかな。
ずっと見てました。
出港するまで見てました。
タグボートが、大きな飛鳥Ⅱの周りをちょこちょこ動き回って、出港のお手伝いをしてました。
潮が満ちてくると、ベイブリッジをくぐれない、とかあるのかなぁ。
そういう時間が加味されてるのだろうか、などと思いつつ、
ベイブリッジを無事くぐるのを見届けて、またぶらぶらと公園に向かいました。
帰りの高速道路上で富士山を見つけて、大騒ぎで撮った写真です。
「富士山!富士山だよ!」
と言うと、主人は
「嘘だぁ」
言いましたからね。
本当に富士山とわかると、
「ここは何十回と通ってるけど、富士山を見たのは初めてだ。」
と感心してました。
実は、彼女を見ていたとき、
飛鳥Ⅱ=クリスタル・ハーモニー
だということは、全然知りませんでした。
まさか、日本に帰ってきていて、目の前のこの客船が、
あの長崎で見たクリスタル・ハーモニーだとは、夢にも思いませんでした。
家に帰って、飛鳥Ⅱを調べて、初めてそれを知りました。
とても嬉しかったですよ。
まだ活躍しているということが。
そして、それを知らなかったとはいえ、
間近で見られて、出港していくのを見送ることができたということが、
とても嬉しかったです。
最後に
『ニコ動』にあげた動画のことなんですが。
友人に指摘されて、やはりそう思われるかぁと思い、言い訳と説明を。
動画に、船の科学館で撮った金剛姉妹の模型と、
大和ミュージアムで撮った大和の写真を一枚ずつ入れました。
動画では、違う角度からの写真になってます。
大和ではいい方の写真を使いました。
「こういう船の模型を見ても彼女(クリスタル・ハーモニー)のことを思うんだよ。」
というのを表したかったのですが、
それだけわかっていただければ十分だったのですが、
この際、もうちょっと踏み込んでいただきますと、
金剛4姉妹は、帰る場所はあったが、帰ることができなかった。
ただ、榛名は呉で空襲で座礁したので、日本には帰っていたのではありますが(^0^;)
大和に至っては、帰らないのを前提に出港したので、もう帰る場所すらなかった。
でも、クリスタル・ハーモニーは、故郷に帰ってこられて、出港しても帰る場所がある。
それを更に表したかったのですが、ちょっと含み過ぎたかしら(^0^;)
ついでに言えば、クリスタル・ハーモニーは海外で火災を起こしたと、ずっと思ってました。
動画を作るまで、ずっとそう思ってました。
なので、火事になったような船が今も活躍しているとは思えなくて、
行方を調べることはしてませんでした。
実際に家事を起こした船は、彼女ではなく、姉妹船?だったそうです。
調べたら、すぐわかったのにね。
それから
一番上に書いた体調のことですが
左手に力が入りにくかったり、振戦もあるのですが、
慣れたせいか、そんなに気にならなくなりました。
革での小物の制作もずっとあきらめてましたが、なんとか復活できそうです。
手動革漉き機『フェッタ』なるものを手に入れたので、また少しずつですが、始めようと思います。
真っ直ぐな水平線-海日和1- [海日和]
上の写真は、もう10年以上前に主人が一眼レフで撮ったものです。
ようやくデジタル化致しました(^◇^;)
かなり劣化してましたので、少し手直ししてあります。
主人の実家の近くの海岸です。
初めて主人の実家に連れて行ってもらったときのですね。
ご両親にご挨拶に行った、とかそんな状況ではなく、
この時の私はほとんど精神がどこかへいっちゃってる状態でした。
主人は、そのときはまだ『主人』ではありませんでしたが、
「気分転換」として遠出するのに、『タダで泊まれる実家』を選択したのだと思います。
それまで主人が連れてきた女の子達とは毛色も様子も違う私を、
お父さんもお母さんも何も言わず、何も訊かず、にこにこともてなしてくださいました。
主人は両親に何かを言うタイプではないので、
何も聞かされていなかったご両親は、さぞ心配だったと思います。
主人に連れられて行った海岸は、目を見張るものがありました。
見渡す限りの海。
こんなに真っ直ぐで周りに何も見えない水平線は、あまり見たことがありませんでした。
私の母の実家の近くにも海があるのですが、周りは岸壁などで囲まれておりました。
子供の頃はよく泳ぎにも行きましたが、
自分があまり歓迎されていない、ということがわかるようになったときから行ってません。
それに、
『従弟妹達の中で一番年上』という役割は、どうも私には息苦しいものがあって、
今では、従弟妹達とも何か行事がない限りは会うことも連絡をすることもないです。
一昨年の夏、そんな主人の実家も無くなってしまいました。
元々古い家だったので、家自体が相当傷んでいたそうです。
お父さんは建て直して住み続けたかったようですが、
南海トラフの、一番危険地帯にある家は、いつ無くなってもおかしくない。
海岸から1kmなどという場所は、
津波がくると予想されている地図では真っ赤に塗られています。
主人は「建て直さないで欲しい」と言い、それが受け入れられて、
やっと私にもできた海の近くの実家は無くなってしまいました。
あの、真っ直ぐの水平線も、もう見られなくなってしまいました。
まだ実家が無くなるなどと思ってもみなかったとき、
あの海岸に、10年近く経って、幸湖さんを連れて行きました。
主人は、あそこに行けなくても、海岸は沢山あるから大丈夫だ、と言います。
行きたければ、どこへでも連れて行ってやる、と。
そうなんだ
そうなんだけど
あそこが好きだったんだ。
何もなくて、砂と波と海と、それだけのあそこが好きだったんだ。
だけど、もう、簡単に行くことはできないんだ。
主人は、故郷がなくなっても全然平気だと言いましたが、
そう決まったすぐのとき、
『planetarian~星の人~』
を観て泣いてました。
元々、泣いちゃうアニメなんですが、
子供の頃からよく知っている場所が舞台であれば尚更でしょう。
そんな私はというと
元々生まれた所の記憶はなく。
今日も、幸湖さんの散歩の途中で私の実家に寄ったら、
両親が「ほら、一番最初に住んでたアパートの・・」と言ってましたが、
「ほら」と言われても、さすがに0~1歳の頃の記憶はないですよ(^◇^;)
生まれた所だけではなく、育った所にも、もう帰る所はありません。
それでも何の感慨もありませんので、主人もそうなんでしょうかねぇ。