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真っ直ぐな水平線-海日和1- [海日和]

10.jpg


上の写真は、もう10年以上前に主人が一眼レフで撮ったものです。
ようやくデジタル化致しました(^◇^;)
かなり劣化してましたので、少し手直ししてあります。

主人の実家の近くの海岸です。
初めて主人の実家に連れて行ってもらったときのですね。
ご両親にご挨拶に行った、とかそんな状況ではなく、
この時の私はほとんど精神がどこかへいっちゃってる状態でした。
主人は、そのときはまだ『主人』ではありませんでしたが、
「気分転換」として遠出するのに、『タダで泊まれる実家』を選択したのだと思います。

それまで主人が連れてきた女の子達とは毛色も様子も違う私を、
お父さんもお母さんも何も言わず、何も訊かず、にこにこともてなしてくださいました。
主人は両親に何かを言うタイプではないので、
何も聞かされていなかったご両親は、さぞ心配だったと思います。


主人に連れられて行った海岸は、目を見張るものがありました。
見渡す限りの海。
こんなに真っ直ぐで周りに何も見えない水平線は、あまり見たことがありませんでした。

私の母の実家の近くにも海があるのですが、周りは岸壁などで囲まれておりました。
子供の頃はよく泳ぎにも行きましたが、
自分があまり歓迎されていない、ということがわかるようになったときから行ってません。
それに、
『従弟妹達の中で一番年上』という役割は、どうも私には息苦しいものがあって、
今では、従弟妹達とも何か行事がない限りは会うことも連絡をすることもないです。

一昨年の夏、そんな主人の実家も無くなってしまいました。
元々古い家だったので、家自体が相当傷んでいたそうです。
お父さんは建て直して住み続けたかったようですが、
南海トラフの、一番危険地帯にある家は、いつ無くなってもおかしくない。
海岸から1kmなどという場所は、
津波がくると予想されている地図では真っ赤に塗られています。
主人は「建て直さないで欲しい」と言い、それが受け入れられて、
やっと私にもできた海の近くの実家は無くなってしまいました。
あの、真っ直ぐの水平線も、もう見られなくなってしまいました。

まだ実家が無くなるなどと思ってもみなかったとき、
あの海岸に、10年近く経って、幸湖さんを連れて行きました。

幸1.jpg


主人は、あそこに行けなくても、海岸は沢山あるから大丈夫だ、と言います。
行きたければ、どこへでも連れて行ってやる、と。

そうなんだ
そうなんだけど

あそこが好きだったんだ。
何もなくて、砂と波と海と、それだけのあそこが好きだったんだ。
だけど、もう、簡単に行くことはできないんだ。


主人は、故郷がなくなっても全然平気だと言いましたが、
そう決まったすぐのとき、
『planetarian~星の人~』
を観て泣いてました。
元々、泣いちゃうアニメなんですが、
子供の頃からよく知っている場所が舞台であれば尚更でしょう。

そんな私はというと
元々生まれた所の記憶はなく。

今日も、幸湖さんの散歩の途中で私の実家に寄ったら、
両親が「ほら、一番最初に住んでたアパートの・・」と言ってましたが、
「ほら」と言われても、さすがに0~1歳の頃の記憶はないですよ(^◇^;)

生まれた所だけではなく、育った所にも、もう帰る所はありません。
それでも何の感慨もありませんので、主人もそうなんでしょうかねぇ。

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日本で一番背の高い-富士山日和1- [富士山日和]

子供の頃、うちは裕福ではありませんでした。
両親は休みなく働いてましたし。
父はその頃、何ヶ月も休みがなかったように記憶しております。
もちろん、朝から晩まで一日中仕事というのではなく、
午後早く帰って来たりはしてましたが。

そして、家族で旅行をするにはお金がかかる。
生活に余裕のない家が、旅行になど行けるはずもありません。
我が家では
『一に我慢!二に我慢!三、四も我慢!どこまで行っても我慢!我慢!!』
という言葉が、標語のようにまかり通っていました。

そうやって我慢に我慢を重ねて育った子供がどんな大人になったか。
タガが外れて、自由奔放な人間となりました。
この趣味の多さ、このコレクションの多さ、何でも集めてしまいたくなるコレクターと化しました。
・・そんなのは私だけ?(^◇^;)

小学生の時、友達が大阪へ旅行に行ったとか、
広島で原爆ドームを見てきた、などと話すのを、
『海外に行ってきた』ぐらいの遠さで受け止めておりました。
しかし、そういう話を聞いても、羨ましいという思いはありませんでした。
旅行に行かない生活が普通だったので、
家族での旅行は楽しい事、というのがわからなかったんじゃないでしょうかねぇ。
それに、母の実家に長期の休みは必ず行っていたので、それで十分楽しかったですし。

ただ二つだけ。
子供の頃にやっておいて欲しかったのは、
ウィンタースポーツの代表、スキーに連れて行って欲しかったことと、
ピアノを買って欲しかったことですね。
どれも叶いっこなかった願いでしたが。


兄弟のいない私は、両親がいない間はずっと一人でした。
一人でいることに我慢していたわけではなく、私は『ひとり』が好きな子供でした。
両親が嫌いとか一緒にいたくなかったというわけではありません。
ただ、一人の方が気楽だったからです。
仕事で疲れて、かりかりぴりぴりしてる両親の側にいるのが、とても苦痛でした。

父は気管支喘息を発症し、毎日夜中に苦しそうな咳が聞こえてました。
それでも、朝早く出て行く。
母も、父の背中をさすったりして、眠れなかっただろうに、ちゃんと仕事へ行く。
私が何か言えるわけもありません。

今でこそ、穏やかになった両親と、優しく頼もしい主人と、
車に乗るとやたらはしゃぎまわってやかましいコーギー幸湖さんと
旅に出ることが増えてきました。
やっと家族との旅が楽しいと思えるときがやってまいりました。


旅に出たときや日常の風景を撮りためた写真を、ここに載せていきたいと思います。


最初は、何はなくとも『富士山』でしょう。
すごく昔に撮った写真もありますが、デジカメじゃないし、フィルムもないし、黄ばんだものしかないので、
とりあえず初代のデジカメで撮った写真でいきます。
プロじゃなくても、黄ばんだ写真を簡単に綺麗にすることってできないんだろか~?

fuji1.JPG


忍野八海から撮った富士山。
この日はあいにくの雨で、富士山も頭だけでした。
雨の合間の曇り空です。

初代のデジカメで撮ったので、画像はあまりよくないです。
それに、富士山よりそれにかぶった木の方が目立ってる(^_^;)

fuji2.JPG


ここは確か、駐車場の中の庭、実は庭に駐車場があるのだろうか?から撮った富士山です。

ここの池でみつけました。

kawasemi1.JPG


(ぽちっとすると、大きな画像でみられます。)


真ん中に『カワセミ』が写ってますが、おわかりいただけるでしょうか?(^_^;)
角度かえてみますよー

kawasemi2.JPG


( ̄~ ̄;)ウーン・・・
わかりにくい(^0^;)
本当に初期のデジカメだったので、ズームにしてもみましたが、
はっきりしなかったため、あきらめました。
この子で撮った写真のデータの入ったSDを無くしてしまったため、
この頃の風景はあまり残っていません。
貴重な数枚です。

次の富士山は2代目『デジ子』で撮った写真を載せたいと思います。




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最初にご挨拶

この『風日和』は最初はyahoo!ブログさんに載せておりました。
そちらがサービス終了となるそうなので、yaplog!さんに移しました。
つい最近、yaplog!さんも今年いっぱいでサービスを終了するという発表があり、
こちらに移すことに致しました。
これだけブログのサービスが終了するということは、もうブログの時代じゃないんでしょうかね。
かといって、JUGEMさんにも書きましたが、
短く何度も呟くTwitterを、面倒くさがりで気分にかなりムラのある私が使いこなせるはずもなく。
Twitterのアカウント?は持ってますが、
新作のイラストとイベント参加のお知らせでしか使っておりません。
なんだか切ないのね・・


ここに以前あったイベント関係の記事は、JUGEMさんに移動しました。
ので、左側のリンクの所から、飛んでやってください☆ミヽ(。><)ノ ピョン

ヘッダーの写真は、東山魁夷先生の絵で有名な『御射鹿池(みしゃかいけ)』です。

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